学会で広島に来たついでに、昔好きだったお好み焼き屋に行った。お好み焼きといっても、広島市内のお店ではなく、白市駅という、山陽線のローカル駅の近くにある「鑑原食堂」という小さなお店だ。
大学のある東広島市から広島空港に向かう時、この白市という駅で降りて空港行きのバスに乗り換える。その待ち時間にこの店でお好み焼きを食べるのが、帰省の際の楽しみだった。
西条から普通電車に揺られて白市に着き、このお店でお好み焼きを食べている間に、自然と身体が、慌ただしい大学生活モードからのんびりとした実家モードへと切り替わっていく。その時間が、僕は好きだった。
昨日広島空港に着いた時は、そのままリムジンバスで広島市内のホテルに向かった。道中、ふとあの店が気になって、今日訪ねてみることにした。広島駅からJRに乗って40分弱、白市駅で下車する。歩いて3分ほどのところにある「鑑原食堂」ののれんをくぐると、昔と変わらぬ、ザ・昭和の居酒屋的なたたずまいが僕を迎えてくれた。
「豚玉、うどんで。」大きな鉄板のカウンター越しに告げたその先には、確かに僕の記憶の中のお母さんがいた。そういえば、広島焼きのルーツはソバじゃなくてうどん。それを教えてくれたのも、彼女だった(現在に至るまで、彼女以外のすべての広島人にそれは嘘だと言われ続けてきたけれど(笑))。
クレープ状に薄く引いた生地の上に、これでもかというほど大量のざく切りのキャベツを載せて、上から豚バラ肉を敷いていく。そしてその上にうどんを一玉乗せて、上からおたふくソースをドボドボっと。生卵を鉄板の上で割って薄くのばし、先ほどの具を生地ごとひっくり返して乗せれば完成。たっぷりのおたふくソースと青のりとネギをトッピングして頂きます。
鉄板に乗せたまま、小ベラで切って頂く。うん、うまい。やはり僕にとっての広島焼きのルーツはこの店なんだ。甘いソースと一緒に懐かしさがじわ~っと広がっていく。「お兄さんはお仕事?」手が空いたお母さんにそう聞かれたので、僕はここぞとばかりに、27年前の思い出話をした。お母さんは少しうつむき顔で、
「それはおにいさん、かっこいいねえ。」
と言った。よく意味はわからなかったが、目を伏せた彼女の表情は和らいでいた。他のお客さんもいたので、その後はほとんどしゃべれなかったが、懐かしい味と雰囲気に、僕はすっかり幸福な気持ちになってしまった。最後の一口を口に運んだそのときに、不意にお母さんが僕に話しかけた。
「お兄さんは幸せじゃねえ。広大出してもらえて。億の金よりも価値あるよ。お兄さん、よう頑張ったねえ。」
心が洗われた気がした。
僕は思わずヘラを落としてしまい、目から涙があふれて止まらなくなった、というのはもちろん嘘だが、むせた勢いで鼻からうどんが出そうになった。ただでさえ感傷に浸っているのに、こんなことを、あんな素朴な声で言われたらたまったもんじゃない。いろんな感情がごっちゃになって、本当に泣きそうになった。
「またいつでもきんさいよ。」彼女の言葉に背中を押されて駅に向かう途中、僕は広大時代から今までの自分について振り返っていた。得るものよりも、失うものの多かった人生のように思う。自分のわがままや強がりのせいで、何度人を妬み、人を傷つけ、あきれさせただろう。こういうときに限って、忘れていた苦い思い出ばかりが鮮明に蘇ってくる。
この27年間、お母さんはずっとお好み焼きを焼き続けてきた。雨の日も、晴れの日も、ウキウキしてる時も、泣きそうな時も。彼女の人生にどんなことがあったか、僕は何一つ知らないけれど、27年前も、今日も、同じ味のお好み焼きを僕に食べさせてくれている。
一生懸命生きなければ。
自分の怠惰を人のせいにせず、人をやっかまず、人に振り回されず。今自分にできることを、今日も、明日も、ずっとぶれないでやり続ける。シンプルだけれど、何よりも難しくて、とても根気がいる。その積み重ねが「ひと」を作るのだと思う。明日の自分にバトンを渡せるのは、今日の自分だけなのだから。
「次に来る時は彼女連れてきなさいよ。」
別れ際のお母さんの言葉を思い出して、僕は思わず笑ってしまった。27年前に大学生だった僕に、彼女連れておいで、って。そういう時の流れの中に、お母さんは生きているのかもしれない。なんか、素敵だなあ、と思う。