余命40年くらいの日本人男子から見た世界と、自分


by auxsend
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君が好き胸が痛い

「君が好き胸が痛い」という名前の歌を繰り返し聞いていた。


それは1991のことだったと思う。当時高校2年生だった僕は一年先輩の女子高生に恋をした。出会いの場はとある教会。宣教師に誘われて日曜日のミサに行った僕は、そこで初めて彼女を見た。洗礼を受けたばかりの告白を壇上でする彼女の黒髪と深い瞳の色に僕は一瞬で虜になった。当時僕が通っていた高校はカトリックで、その教会は宗派が違い、そのことを気にした僕は、彼女のことを諦めてそっとその場を去った、というのはやはり嘘で、秒でその教会に入信した。それが学校と親にばれて大問題になったが、そんなこと気にもとめなかった。


日曜日は、ミサの前後に何かしらの集まりがあって、たいてい年齢ごとに分けられていたので、高校生のグループで、毎週のように僕は彼女に会うことができた。一緒に料理を作ったり、読書会をしたり、札幌までみんなで日帰りで旅行したり・・・。それからの半年は僕にとってお花畑のような毎日だった。キリスト教は信じていなかったけど、神様って本当にいるんだなって思った。多分彼女も含めて、あの場にいた全ての人が僕が彼女を好きだと言うことに気づいていたと思う。


もちろん僕の恋は実ることはなく、半年後、卒業と共に彼女は教会を去った。彼女とは2度デートをしたけれど、僕は手を握るどころか、想いを伝えることすらできなかった。好きという気持ちを、行動に移すどころか、言葉にする方法すら知らなかった時の出来事だったと思う。当時彼女に貸したビートルズのCDは、3月、丁寧なお礼の手紙と共に郵送されてきた。


スマホもLINEもインスタもない時代。毎日彼女のことを想い、この曲を聴いた。何度も何度も巻き戻して、テープがすり切れるくらい、何度も。同室者の迷惑にならぬようつけたイヤホン越しに、僕だけの秘めた想いを投影していた。


ぼくたちの人生はやがて終わる。そしてその想いは、残されたものに受け継がれていく。僕はあの頃の胸の痛みを思い出しながら、今、この歌を聴いている。

KANさん。素晴らしい歌を届けてくれてありがとう。本当におつかれさまでした。ゆっくり休んで下さい。

https://youtu.be/gP2y3SuOZgI?si=GV1GQCbHgntJ_5Eg

# by auxsend | 2023-11-19 11:55


こないだ小学校1年の娘のランドセルを持ってみたらびっくりするくらい重かった。試しに教科書を入れた状態で計ってみたら、なんと3.5kg。娘の体重は僕の1/4なので、単純に大人に置き換えてみると毎日14kgの荷物を背負って通学していることになる。これはさすがにひどいな、と思った。


ぼくたちはもうずいぶん前から新聞や雑誌はWEBで見るし、書籍やマンガはAMAZONで読む。スマホ一台あれば十分だ。それなのに子供達だけが、スマホの100倍近い重さの荷物(大人換算)を背負って毎日通学している。もはや正体不明の行軍だ。コロナ禍で全校生徒に配布されたタブレットは学校に置きっぱなしで、活用されている形跡すらない。


もちろん、紙の本で学ぶことは重要だと思う。でも全教科それをやらなくてもいいんじゃないか。メリットとデメリットをちゃんと机上に載せて比較したら、ランドセルと紙の教科書の淘汰は必然のようにさえ思える。手紙や年賀状だって、コミュニケーションツールの進化と共に廃れてきている。


ただ、ランドセルの方は変わらないだろうなあ、とも思う。小学校に上がる時に子供や孫にランドセルを買ってあげることは、親や祖父母のこの上ない喜びらしい。そういえばうちも、誰がランドセル買うかで揉めてたっけ。いい意味で言えばそれは文化で伝統なんだけど、保護者の満足のために本体重量だけで6kg近くある鞄(大人換算)を与えて毎日背負って歩けというのは、極端な言い方をすると虐待に当たると思う。


ウェディングドレスみたいに、入学式の時だけランドセル背負って記念写真撮って、後は神棚にでも飾っておけばいいのに♪


# by auxsend | 2023-10-02 11:37

不幸について

世の中には2種類の不幸な人間がいると思う。


1種類目は、お金が無いせいで不幸になっている人。


お金が足りなくて夢を諦めたり、病気の治療を受けられなかったりするのは心が痛むし、世界を見渡せば、その日の食べ物を調達することすらままならない人々がたくさんいる。一方で、誰かが手を差し伸べることができれば、その人達は幸せになれる。


もう一種類は、お金があるのに不幸な人。


こういう人を救うことはできないし、この手の人間は周りの人間を不幸にする。常に自分の置かれている立場や状況に対して不平不満を言ったり、自己顕示欲が強くて、他人に対してマウントを取らなければ気が済まなかったり・・・こういう人ほど、自分は誠実で報われない人間だと信じている。


自分は不幸だと思った時、どっちの不幸かは振り返ってみればすぐわかる。誰かが助けてくれたら幸せになるのか、自分が変わらなければ幸せになれないのか。僕にとっては、答えはいつだって明快だ。


それでも僕たちはいつも不幸で、幸せについて悩んでいる。生きるための幸せではなくて、どう生きるかのための幸せについて。そして毎日、自分があまり不幸にならないように、他の人の幸せの足を軽く引っ張り合いながら生きている。


きっともう少し違うやり方で、幸せになれる方法があると思う。それは、何かを諦めることかも知れないし、今まで受け入れられなかった何かを受け入れることかも知れない。それを実践することによって、今までよりも少し金銭的に損をするかも知れない。それでも、自分の善意や良心を少しずつすり減らしながら、自分も相手もまとめて不幸になっていくよりはずっとましだと思う。


もしあなたが、お金があるのに不幸を感じているなら、僕といっしょに、幸せについて考えてみませんか?


# by auxsend | 2023-02-20 14:36

開業します♪

ボランティアやりたい!


エコー片手に地方巡業ドサ回り。


愛車(ジムニー)に機材突っ込んで、自分で運転して、医療過疎地(いわゆる僻地)に行って、公民館かどっかにあちこち痛い人みんな集まってもらって、片っ端から注射をしていく、そんなイメージ♪

個人でそういうことやっても違法じゃないのか、勤務先の事務長が保健所に聞いてくれた。その回答が下の写真。





う〜ん、塩対応。



と思ったら、自分で診療所を開設すればいいらしい。確かに米印のところにちゃんと書いてある。

早速保健所に電話して聞いてみると、医務担当の方が丁寧に教えてくれた。結論から言うと、自宅の住所で、診療所を開設してしまえばいいらしい。そして、どこかに集まってもらって治療するには巡回医療の許可届を提出すればいいらしい。無床診療所の開設に特に制限はなく、自宅の図面とか医師免許証とか必要書類を集めて届出書を出すだけでいいらしい。

なんか、めっちゃ簡単っぽい。と言うわけで、私、



開業しまぁす♪


# by auxsend | 2022-07-28 16:52

幸せのお好み焼き♪

学会で広島に来たついでに、昔好きだったお好み焼き屋に行った。お好み焼きといっても、広島市内のお店ではなく、白市駅という、山陽線のローカル駅の近くにある「鑑原食堂」という小さなお店だ。


大学のある東広島市から広島空港に向かう時、この白市という駅で降りて空港行きのバスに乗り換える。その待ち時間にこの店でお好み焼きを食べるのが、帰省の際の楽しみだった。


西条から普通電車に揺られて白市に着き、このお店でお好み焼きを食べている間に、自然と身体が、慌ただしい大学生活モードからのんびりとした実家モードへと切り替わっていく。その時間が、僕は好きだった。


昨日広島空港に着いた時は、そのままリムジンバスで広島市内のホテルに向かった。道中、ふとあの店が気になって、今日訪ねてみることにした。広島駅からJRに乗って40分弱、白市駅で下車する。歩いて3分ほどのところにある「鑑原食堂」ののれんをくぐると、昔と変わらぬ、ザ・昭和の居酒屋的なたたずまいが僕を迎えてくれた。


「豚玉、うどんで。」大きな鉄板のカウンター越しに告げたその先には、確かに僕の記憶の中のお母さんがいた。そういえば、広島焼きのルーツはソバじゃなくてうどん。それを教えてくれたのも、彼女だった(現在に至るまで、彼女以外のすべての広島人にそれは嘘だと言われ続けてきたけれど(笑))。


クレープ状に薄く引いた生地の上に、これでもかというほど大量のざく切りのキャベツを載せて、上から豚バラ肉を敷いていく。そしてその上にうどんを一玉乗せて、上からおたふくソースをドボドボっと。生卵を鉄板の上で割って薄くのばし、先ほどの具を生地ごとひっくり返して乗せれば完成。たっぷりのおたふくソースと青のりとネギをトッピングして頂きます。


鉄板に乗せたまま、小ベラで切って頂く。うん、うまい。やはり僕にとっての広島焼きのルーツはこの店なんだ。甘いソースと一緒に懐かしさがじわ~っと広がっていく。「お兄さんはお仕事?」手が空いたお母さんにそう聞かれたので、僕はここぞとばかりに、27年前の思い出話をした。お母さんは少しうつむき顔で、


「それはおにいさん、かっこいいねえ。」


と言った。よく意味はわからなかったが、目を伏せた彼女の表情は和らいでいた。他のお客さんもいたので、その後はほとんどしゃべれなかったが、懐かしい味と雰囲気に、僕はすっかり幸福な気持ちになってしまった。最後の一口を口に運んだそのときに、不意にお母さんが僕に話しかけた。


「お兄さんは幸せじゃねえ。広大出してもらえて。億の金よりも価値あるよ。お兄さん、よう頑張ったねえ。」


心が洗われた気がした。


僕は思わずヘラを落としてしまい、目から涙があふれて止まらなくなった、というのはもちろん嘘だが、むせた勢いで鼻からうどんが出そうになった。ただでさえ感傷に浸っているのに、こんなことを、あんな素朴な声で言われたらたまったもんじゃない。いろんな感情がごっちゃになって、本当に泣きそうになった。


「またいつでもきんさいよ。」彼女の言葉に背中を押されて駅に向かう途中、僕は広大時代から今までの自分について振り返っていた。得るものよりも、失うものの多かった人生のように思う。自分のわがままや強がりのせいで、何度人を妬み、人を傷つけ、あきれさせただろう。こういうときに限って、忘れていた苦い思い出ばかりが鮮明に蘇ってくる。


この27年間、お母さんはずっとお好み焼きを焼き続けてきた。雨の日も、晴れの日も、ウキウキしてる時も、泣きそうな時も。彼女の人生にどんなことがあったか、僕は何一つ知らないけれど、27年前も、今日も、同じ味のお好み焼きを僕に食べさせてくれている。


一生懸命生きなければ。


自分の怠惰を人のせいにせず、人をやっかまず、人に振り回されず。今自分にできることを、今日も、明日も、ずっとぶれないでやり続ける。シンプルだけれど、何よりも難しくて、とても根気がいる。その積み重ねが「ひと」を作るのだと思う。明日の自分にバトンを渡せるのは、今日の自分だけなのだから。


「次に来る時は彼女連れてきなさいよ。」


別れ際のお母さんの言葉を思い出して、僕は思わず笑ってしまった。27年前に大学生だった僕に、彼女連れておいで、って。そういう時の流れの中に、お母さんは生きているのかもしれない。なんか、素敵だなあ、と思う。


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# by auxsend | 2022-07-22 20:21